ゆーたんのつぶやき

株式会社ノークリサーチにてIT関連のシニアアナリストとして活動しています。

不快な刺激をエネルギーに変える



斎藤孝氏の「天才になる瞬間」という本を読みました。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4413035399/249-1007510-3129902


ミケランジェロからイチローに至る古今東西の天才と言われる
人達の行いから得た、日常生活に生かせるヒントを書き綴った
とても読みやすい本です。


その中で特に印象に残ったのは「不快な刺激をエネルギーに変える」
という小節でした。「どうせオマエにはできないよ」と言われて、
めげるのではなく、逆に発奮した偉人達の姿が描かれていました。


ここでふと思ったのが、「不快な刺激の背後にある大事なポイント」
というものを見過ごしてしまっていることが意外と多いんじゃないか
ということです。


日頃、お客様であったり上司であったりという「目上」の人からの
批判や苦言といったものには耳を傾けやすいと思います。もし仮に
『不快な刺激』であったとしてもビジネス上あるいは立場上、それ
を聴かなければならないシチュエーションであるともいえます。


ですが、利害関係が全くない人であったり部下であったりといった
場合には、その指摘が貴重なものであるにも関わらず、自分の中で
なんだかんだと理屈をつけて正面から見つめ直すことを避けてしま
いがちなのではないでしょうか。


さほど親しくない友人からの指摘に対して「アイツはオレのことを
わかっていない」とか「それはアイツの価値観であって、世間一般
とはズレている」といった相手への転嫁や、部下が意を決して指摘
してくれたことに対して「オマエは何もわかっていない」「オマエ
のその態度がそもそも問題だ」といった問題のすり替えとも言える
ような会話を耳にすることがしばしばあります。


もちろん、悪意のある中傷に対しては毅然とした態度を取るべきでしょう。
ですが、相手が悪意を持ってそれを言っているか、そうでないかは人間で
あれば口調や態度である程度は読み取れるはずです。


自分にとってはちゃんとやっているつもりのこと、あるいは全然
身に覚えのないことであっても、他人の目から見れば指摘するに
足るような行為であるといったことはたくさんあります。
むしろ、そうした自分では身に覚えの無い事柄に対する指摘こそ
貴重であるともいえます。他人からそうした指摘を受けたという
ことは少なくとも自分の行為の中にその火種が存在するはずです。
そこで、「自分はちゃんとやっている、そんなことはした覚えが
ない。間違っているのはオマエの方だ。」と相手を裁いてしまえば
手っ取り早く『不快な刺激』を回避することが可能です。ですが、
この本に書かれているようにそれをエネルギーに変えること、自分
の糧とすることは到底できないでしょう。


日頃からよほど謙虚な気持ちでいないと、この本に書かれている
「自分の環境を気持ちの良いものだけで固めてしまう」という状況
に陥ってしまいかねません。自分の周囲に目上の人が少なく、目下
が多いような状況下においては尚更、『自分の非を省みる前にまず
相手を裁く』ということを行なってしまいがちです。


相手がたとえ利害関係がなかったり、部下であったりといった目下
であっても『自分を守る理由付けをして相手を裁く前に、まず自分
に指摘された非がなかったかどうかを真摯な気持ちで省みる』と
いう姿勢がとても大切なんだな、とあらためて感じました。


相手も人間です、指摘した事柄が若干的外れかも知れないし、表現
が適切でないかも知れない。それを責め立てて、自分を守ることは
簡単です。でも、それをやってしまった瞬間に相手が勇気を持って
差し伸べてくれた手を払いのけてしまっているような気がします。


きっと、それができるリーダーとできないリーダーとで組織の
成長というものが大きく違ってくるのではないかと思います。


あれこれと偉そうなコトを書いていますが、ボク自身もそういった
境地からはまだ程遠い状態であることは言うまでもありません。
自分の非を指摘してくれた人に対して、「ありがとう」を言える
くらいになれば、この本に出てくる偉人にほんの少しだけ近づける
のかも知れませんが、まだまだ研鑚を積む必要がありそうです(笑)


お休みの日のエネルギー充填にお奨めの一冊です。