ゆーたんのつぶやき

株式会社ノークリサーチにてIT関連のシニアアナリストとして活動しています。

性急な「販促企画」にはご用心



製品拡販を目的とした企画立案は短中期の事業計画の
中ではとても重要な要素です。ですが、本来しっかり
と練られるべき企画が営業的な観点で直近の顧客から
得られる情報のみに脊髄反射する形で(ニーズ分析や
企画実施時のシミュレーションを行なわずに)突っ走
ってしまうという場面が少なくないように感じます。


例えば、とあるドキュメントマネジメントソフトウエア
のベンダー「〇×株式会社」の製品「ドキュマネ大将」
というものがあったと仮定しましょう(いずれも架空)

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「ドキュマネ大将」はASP.NETを使って開発されたWEB
ベースのドキュメントマネジメントソフトウエアです。
フォルダを作成し、その中にMS Office文書などを格納
して管理します。アクセス権はフォルダごとに管理が
可能ですが、個別の文書毎にアクセス可能な社員を設定
させることはできません。


「ドキュマネ大将」は価格的にはローレンジの製品なので
本格的なドキュメントマネジメント製品並の機能は持って
いません。必然的に顧客層も中小規模が主体となります。


先日、とある中堅製造業会社に納品した際にこんな評価を
もらいました。『御社の製品はセキュリティが素晴らしい!
これまではファイルサーバーで共有していただけなので、
部外者に文書を見られてしまう危険があったが、この製品
を使えばそうしたことも防げる。これなら取引先との情報
共有にも使えそうだ』


これを聞いた〇×株式会社のDM事業部長田中さんは他の
2,3件のお客様からも同様の声が挙がっていることに気が
つきました。『そうか、セキュリティという観点で行って
みよう。昨今の流行りでもあるし、これはきっとイケる!
さらに取引先企業との情報共有ということでBtoBもキーワ
ードにしてみよう』


ということで、○×株式会社はドキュマネ大将を「セキュア
なBtoBを実現するドキュメントマネジメントソフトウエア」
という謳い文句でプロモーションをかけることにしました。

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ここまでの田中さんの企画の立て方には実に多くの問題が
含まれています。順にチェックしていきたいと思います。


1. 顧客からの反応を客観的に分析できていない
2. 自社製品の特色と代替手段を把握できていない 
3. 業界のトレンドを考慮に入れていない
4. 製品のアーキテクチャを無視してしまっている
5. 販促企画の目的と効果を明確にしていない
6. 企画実施によって想定されるシナリオを考えていない


まず、1.ですが「2,3件のお客様からも....」にあるように
そもそもの動機が少数の顧客からたまたま同じような意見が
出されたことが引き金になっている点が問題です。きちんと
したマーケッターがいる会社であればこのようなことは起き
ませんが、顧客を抱える営業マンが企画立案の決定権者を兼
ねているような場合にはどうしても目の前にいるお客様の声
を必要以上に拡大して解釈してしまう危険があります。また
上記事例のお客様は文書管理にファイルサーバーを用いてい
たわけですが、そのような顧客(IT投資に消極的と思われる)
を自社のビジネスのターゲットにして良いのか?という視点
も必要です。ファイルサーバーと比較して「セキュリティが
高い」と喜ぶお客様が自社が主戦場とする顧客層と本当に一
致しているのかを確認する必要があります。「中規模以上の
企業がターゲットです」と言いながら、この事例のようなお
客様の声を真に受けて「弊社製品はセキュリティが売りです」
と言ってしまうのでは少々短絡的です。中規模以上の企業で
あれば、セキュリティが売りというからには文書レベルでも
アクセス制御ができて当然と思うはずだからです。顧客の声
を元にして企画立案を立てる際には
・その顧客の声は自社がターゲットとする市場のニーズや
 現状を正しく反映したものなのか?
・顧客固有の特殊事業から生じたメリットを製品そのもの
 のメリットと混同していないか?
といったことを厳しく自分に問い掛ける姿勢が重要と思います。


2.については「ファイルサーバーでもフォルダレベルの
セキュリティを実現することは可能である」という事実
を完全に忘れてしまっているという状況を指しています。
お客様はファイルサーバーで同じことを実現させるより
ドキュマネ大将を選んでくださったので、そのこと自体
は喜ぶべきです。ですが、フォルダレベルでのアクセス
権限制御ができることはドキュマネ大将の「競争力ある
製品メリット」ではありません。たまたま今回のお客様
がメリットと捉えてくれただけのことで、広く一般に
訴求できるものではありません。
なぜなら、ファイルサーバーでも同様のことが可能である
という「より低コストの代替手段」が存在するからです。
・その訴求ポイントは特定の顧客に固有のものなのか、
 それとも製品そのものに内在する競争力のある特色
 といえるのか?
といった区別をしっかりつけないと、とんちんかんな
製品アピールをしてしまうことになります。


3.については「セキュリティ」や「BtoB」といった言葉
が業界全体でどう捉えられているかを考えなければなら
ないということです。セキュリティという以上、昨今で
あれば個人情報保護法e-文書法への配慮は必須です。
田中さんはそこまでちゃんと考えて「セキュリティ」と
いう言葉を使っているでしょうか?あるいは「BtoB」に
ついてもやや古臭い印象がありますし、商取引を連想さ
せる言葉でもあります。ドキュメントマネジメント製品
に対して適用するのが適切かどうかは再考の余地があり
ます。業界トレンドを十分に考慮しないまま、思いつき
のキーワードを使ってしまうと、自分が全く想定してい
なかった解釈をされてしまって返って苦戦を強いられて
しまいます。この場合であれば、「セキュリティ」と言
ってしまったがためにドキュマネ大将が対応できていな
い文書レベルのアクセス制御がクローズアップされるこ
とになったり、「BtoB」と言ってしまったがために、
EAISOAといった製品ターゲットとはズレた分野に興味
を持つ顧客を不要に呼び込んでしまい、単に手間取った
だけの結果に終わってしまうといった恐れがあります。


4.は田中さんが企画立案に際して技術部門との意見交換
を怠っていることが大きな問題です。ドキュマネ大将は
アーキテクチャの都合で文書レベルでのアクセス制御を
行なうことは困難です。ですので、セキュリティを前面
に押し出したアピールをしてしまうと、舞い込む要望に
応えられずにアーキテクチャ的に破綻をきたしてしまう
可能性があります。製品に十分な機能があって、それを
アピールするための販促を行なうのが本来はベストです。
ですが、大抵の場合は掴み程度の機能は入れておいて、
細かい部分は獲得した案件での要望を反映させながら
拡充していくという手段を取らざるを得ないと思います。
その際に販促企画の路線を進めた結果、そもそも製品の
アーキテクチャ上無理があったということが後から判明
したのでは遅すぎます。販促企画の結果として生じると
思われる製品進化の方向性が製品の持つアーキテクチャ
ときちんとマッチしているかの検証はとても大切です。
これも営業部門と技術部門の橋渡しができる専任マーケ
担当や営業と技術の両方を理解できる優秀なプロダクト
マネージャーが居る組織では問題がありませんが、営業
部門が主導して企画立案を行なっている場合には注意が
必要です。営業部門では販促プランを立て、それを技術
部門に確認することなく実行に移します。そして実際に
案件が獲得できた段階で顧客から無理難題が持ち込まれ
ます。営業部門としてはその案件を獲得できることが
至上命題となるので、必然的に技術部門には「何として
も実装して欲しい」と訴えることになります。結果とし
アーキテクチャを無視した無理な実装を加えることに
なり、それが品質の低下や製品特色の分散化を生じさせ
引いては製品そのものの競争力を落としていきます。
営業主導の企画立案自体は悪いことではありませんが、
アピールポイントやターゲット顧客が絞れた時点で技術
部門の見解を求めるというステップが必須と考えます。


5.は「そもそも何のための企画なのか?」が曖昧になって
いる場合が意外と多いということです。販促企画の種類に
もいろいろあります。
・既に製品の特色であることが十分にわかっているけれども、
 それが世の中に今一つ周知できていないので、それをアピ
 ールするという販促企画
・現段階で製品には十分に備わっていないけれども、トレンド
 として無視できないので呼び水的にアピールを試みるという
 販促企画
前者であればアピールがうまく行けば、追加の開発コストは
ほとんど発生せず、収益に結びつけるまでの期間も短いはず
です。一方、後者はアピールの後に製品開発コストが掛かり
ますし、顧客案件のスケジュールに左右されますので収益に
結びつけるまである程度の期間を覚悟しなければなりません。
良くある間違いは実体は後者なのに効果は前者のものを期待
してしまうというパターンです。ドキュマネ大将の例で言えば
セキュリティ面の機能は強くない製品です。セキュリティで
アピールをすれば当然ながら各案件毎に追加開発の必要が生じて
きます。ところが、田中さんは「セキュリティは流行りだから、
引き合いもたくさんあって下半期の収益増に大きく貢献するぞ」
と考えてしまうわけです。自分の立てている販促企画が上記の
いずれの種類のものなのかを自覚することが重要ということに
なります。


6.田中さんの根本的な誤りの一つは「その企画を実践したら、
何がどのタイミングでどのように起るか?」といった起こり
うる事象のシミュレーションを怠っている点にあります。
たまたまうまくいった個別の顧客案件でのシナリオをそのまま
一般化してしまい、万事がそれでうまくいくと考えてしまうの
ではあまりにお粗末ですが、収益を向上させたいと思うあまり
自分の描いたプランを客観的に厳しくシミュレーションすると
いうことをせず突っ走ってしまうということも良く起ります。


長々と書いてきましたが、効果のある販促企画を立てるためには
田中さんの失敗ポイントを裏返して実践することになるかと思い
ます。
1. 顧客からの反応を客観的に分析する
  →ターゲット外の顧客の声を拾っていないか?
   顧客の特殊事情に起因するメリットと製品メリットを混同していないか?


2. 自社製品の特色と代替手段を把握する
  →アピールポイントは製品本来の特色やコンセプトと合致しているか?
   アピールポイントに対して、より低コストな代替手段は存在しないか?

 
3. 業界のトレンドを考慮に入れる
→アピールポイントや宣伝文句は現在のトレンドにマッチしているか?
   キーワードの意味を取り違えて、誤解されてしまう危険性はないか?


4. 製品のアーキテクチャを踏まえる
→販促企画の結果として生じる製品進化の方向や予想される要望事項は
   製品アーキテクチャと照らし合わせて無理ない範囲に収まっているか?


5. 販促企画の目的と効果を明確する
  →既にある機能や用途を周知させる販促企画なのか、それともこれから
   発展させていきたい機能や用途を先行してアピールするものなのかを
   きちんと意識する


6. 企画実施によって想定されるシナリオを練る
  →どのような顧客が反応し、どのような要望が舞い込むか、といった
   ことをあらかじめ可能な限り挙げておき、無理なく対応できるか?
   収益とコストのバランスを考えて意味のある対応ができるか?とい
   ったことを綿密に練っておく


上記のようなことをしっかりと考えずに、日頃営業部門が直接目に触れた
情報のみを頼りにして性急に作成した販促企画ではまずうまく行きません。
本来は収益改善に寄与するためのプランが顧客から無理難題を持ち込まれ
技術部門が必死になって実装したけれども案件自体は赤字、なおかつ無理
に機能を入れたので製品自体の品質も低下してしまうという悲しい結果に
陥る危険もあります。


「販促企画」というと「営業主体でとにかくスピーディにやるのがベスト」
という考えが根強いですが、フタを開けてみると成功している例はむしろ
優秀なマーケッターやプロダクトマネージャーが営業部門と技術部門の間に
立ってきちんとしたプランを立てているケースが多いように見受けられます。


営業部門が主導するということ自体には何ら問題はありませんが、販促企画
を立てる際に上記のようなポイントが抑えられていない場合に対処ができる
組織作りができているかが分かれ道です。社内の他部署すらその企画の存在
を知らないまま突っ走ってしまうのか?それとも企画を客観的にチェックし
是正する仕組みがどこかに備わっているのか?その段階で企画が成功するか
どうかは既に決まっているようにも思います。


まずは、「販促企画」といったものが出された際には特定部門内でクローズ
にせず、他部門の見解もきちんと踏まえる。上記のポイントに抜けがあった
場合には仮にそれが事業部長の立てたプランであっても周囲の人間が臆せず
指摘することができ、またその指摘を素直に受け入れて企画をブラッシュア
ップさせるだけの気持ちの余裕をリーダーは常に持っておく、といったこと
が大事なのではないかと思います。