ゆーたんのつぶやき

株式会社ノークリサーチにてIT関連のシニアアナリストとして活動しています。

「複雑系の経営」に関連した誤解



田坂広志氏の「複雑系の経営」は一昔前にブームになりましたが
複雑系の考え方を経営にも適用しようというスタンスは未だに
参考になる面も多く、実際の経営に取り入れている方も少なくない
ようです。


ですが、この考え方をちょっと取り違えてしまっているケースも
あるように感じます。ちょっと乱暴な分類かも知れませんが、
経営者というものを「種々の経営ツールに対する姿勢」という
観点で分類すると、以下の2つに大別できるかと思います。
A. 近代的MBA型経営者
  MBA課程で修得されるような種々の手法やツールに精通し、
  それらを実際の経営の場で活用しようとするタイプ
B. 古典的日本型経営者
  手法やツールには懐疑的もしくは否定的で精神論を基盤
  として組織を引っ張っていこうとするタイプ
ここで注意しなければならないのは、Aタイプの経営者は決して
会社や組織を冷徹に分析/エンジニアリングするだけのデジタル
人間ではないということです。むしろ、手法やツールの限界を
正しく理解した上で、究極的には直感が大切であることを心底
実感されているケースが多いように思われます。「全てを理論
で説明できるなら、経営者なんて要らないよ」という言葉があ
りましたが、そうした境地に達している方ならではの発言では
ないかと感じます。一方で Bタイプの方はとかく手法やツール
といったものを頭から否定する言動が多いように見られます。


とても不思議なことなのですが、Bタイプの方は初めはツールや
手法を信奉することが多かったりします。 例えば、進捗管理
いうものを全く理解していなかった人が ある日ガントチャート
WBS、EVMといった手法やツールを学んだとします。
そうするとガントを書いたり、PV/AC/EVを計算することが進捗
管理だと勘違いしてしまって、 チームメンバーへ毎日声をかけ
るといったマネジメントの肝心な部分が欠落してしまいます。
当然そういった現場から離れたマネジメントの仕方では適切な
運営はできません。結果としてチームの生産性や士気が低下し
てきますが、そうすると今度はその原因をツールや手法に転嫁
しようとします。更には自分が実践したことのない進捗管理
手法についても否定的になってしまうことが多いです。このよ
うにBタイプの場合には[手法やツールを盲信する]→[ツールや
手法の適用方法や運用方法を誤る]→[ツールや手法に否定的に
なる]というプロセスを様々な分野で繰り返す傾向があります。


「××シンキング」というフレーズを聞くと、内容を確認せずに
「そんなものはクソの役にも立たない」と言ったりするケースは
その典型例です。ロジカルシンキングクリティカルシンキング
といったものがブームになった時に、「何だかわからないけど
この本さえ読めば問題が解決する」という甘い期待で飛びつき、
自分のアタマで考えるということをしなかったために成果を
出せなかったところを「この本はダメだ」「この手法は役に
立たない」と責任転嫁してしまっているケースです。


話が若干逸れましたが、冒頭に挙げた「複雑系の経営」という
考え方も Bタイプの経営者が勘違いをして適用してしまいがち
なものではないかなと感じています。この本では組織を複雑系
として捉えることで得られる「知」として以下の七つを挙げて
います。


1. 全体性の知
   細かく分けて分析するのではなく、全体を眺める
2. 創発性の知
   トップダウンではなく、個の創造性を生かす
3. 共鳴場の知
   情報を共有するだけでなく、共鳴させる場を作る
4. 共鳴力の知
   組織の総合力ではなく、個人間の共鳴を活用する
5. 共進化の知
   トップダウンボトムアップの双方向でプロセスを変革する
6. 超進化の知
   市場のルールをそのものを覆す「メタ戦略」を生み出す
7. 一回性の知
   分析による予測ではなく、意思・夢・希望を語る


非常に崇高な思想であることが見て取れますが、おそらくは
ここに書かれているような境地はAタイプの経営者があらゆる
ツールや手法を実践し、経験を培った先に得られるものでは
ないかという気がしています。怖いのは Bタイプの経営者が
この七つの「知」を自分の都合の良いように解釈してしまう
ことです。


1.については分析・エンジニアリング的なスタンスと対極に位置
する全体思考を推奨しているように読めますが、そう単純ではあ
りません。複雑系の特徴として「初期値敏感性」というものがあ
ります。パラメータのほんのちょっとした変化で、結果が大きく
異なるのが複雑系です。1.で述べていることは分析・エンジニア
リング的な手法が役に立たないということではなく、比例関係の
ような線形的な分析を局所的に適用するだけでは「木を見て森を
見ず」になってしまうので、組織全体を見渡す視点を持とうとい
うことだと理解しています。実際、田坂氏自身も複雑系が持つ敏
感性について言及しています。「全体を眺める」ということは
「分析を軽視する」ということとは異なります。ですが、「分析
的手法は複雑系では使えない」と曲解し、全体思考の名の元に
本来は重要であるマネジメント上の細かいウォッチやタスクを
ないがしろにしてしまっているケースがあるように思います。


2.については「何処までを指示し、何を任せるのか」の線引きが
重要と考えます。例えば製品を開発しようとする場合、どんなに
個々の自発性に任せたとしても製品の市場における位置付け、ラ
イフサイクル、収益源のポートフォリオといった事業の根幹部分
は共有し、複雑系の自己生成過程のインプットないしはルールと
して明確に定義しておく必要があるはずです。ですが、Bタイプ
はそうしたプラン作成やシミュレーションのノウハウを持ってい
ないことが多いため、2.の文面を「余計な指図は一切せず、部下
には課題のみを与えておくことが最善の結果をもたらす」と勘違
いすることがあるようです。部下としては何処まで任されている
のか?製品の位置付けそのものを決めるところまで自分でやって
しまってよいのか?ということがわからず、自分に与えられた権
限も把握しづらくなってしまいます。複雑系は見た目はランダム
に見えるけれども内部的には何らかのルールに基づいて動いてい
るシステムのことを指します。 (少なくともカオスやフラクタル
の分野での「複雑系」の定義はそうです) 自らルールやゴールを
自己生成するものではないはずなのですが、そうした勘違いがあ
るように思われます。自身のビジョン創造力やプランニング能力
のなさを複雑系の自己組織化を理由にして部下に転嫁してしまっ
ているケースといえるかと思います。


6.は業界のルールや習慣といったことを軽視する傾向を生み出す
危険があります。商売をする以上、その主戦場での商習慣やルー
ルには当然熟知するべきなのですが、Bタイプの場合はその点が
不勉強であることが少なくありません。「自分は新しいビジネス
を目指すのだから」ということを言い訳にすることが多いですが、
6.はそうした姿勢を助長してしまわないかという危惧があります。
実体のない「メタ戦略」に夢を馳せるより、まずは足元のビジネ
スをしっかりと固めるための地道な努力が大切と考えます。


7.はBタイプの方が大好きなフレーズです(^^) いくら分析をしても
所詮は不確定なのだから、下手な分析をする時間があったら夢や
希望を語ろうという主旨なのですが、ここにも大きな落とし穴が
あります。7.が当てはまるのは過去の実績をきちんと分析・反省
して、それを教訓として次に生かすというサイクルがきちんと身
についているということが暗黙の前提となっていると考えます。
過去の失敗について何がいけなかったのかを論じようとすると、
「過ぎたことを取り上げるなんて、なんてネガティブなヤツだ」
と言われたりすることがあります。ですが、過去の失敗に学ぶと
いう姿勢を持たなければいつまで経っても物事は上達しません。
うまく行った事、行かなかった事を一つ一つ丁寧に自覚して、次
に生かすという当たり前のプロセスが不要なものと勘違いされて
しまうのはとても怖いことだと思っています。


長々と書いてしまいましたが、「複雑系の経営」は Aタイプの
経営者が長い経験の末にたどり着く境地を説いたものであって
Bタイプの経営者の自己弁護の道具とされるべきではないはず
では?というのが今回感じたことです。


最近、「パラダイム症候群」とも言うべき症状があることに気が
つきました。例えば、Bタイプ経営者が「複雑系の経営」を読んで
それに心酔したとします。早速、上記の七つの「知」によって組織
を動かそうとしますが、本当に体得したものではないので説得力が
ありません。そうした時に出てくるのが「これは新しいパラダイムだ」
「お前達が学んできたこととは全く異なるパラダイムだ」といった
ように『パラダイム』と言う言葉を連発するというものです。
要は「お前達の知らない思想なのだから、あれこれ言わずに黙って
いろ」ということなのですが、それを格好良く表現しようとすると
このようになるわけです。うまく根拠を述べられず、相手を説得で
きないとなると「お前の知らない『パラダイム』だ」ということで
議論をそこで打ち切ってしまいます。


どんな名著も読み方を誤れば、とんでもない勘違いに陥ってしまい
ます。これはビジネス書に限らず、技術においてもそうかも知れま
せん。「ゴールデンハンマーを持つと、どんなモノでも釘に見えて
くる」という諺がありますが、そうしたことにならないように常に
客観的な視点を保つと共に、明言や名文であるが故の落とし穴にも
常に注意しておかないといけないのだなと改めて思いました。