ゆーたんのつぶやき

株式会社ノークリサーチにてIT関連のシニアアナリストとして活動しています。

オルセー美術館展



仕事にも区切りがついて、ようやく行くことができた。
とにかく展示数が多くて観るのにも一苦労、三時間位
かかってしまった....


以下、気になった作品の感想を気ままに


ミレー「クレヴィルの教会」
ボクはミレーの絵柄がすごく好らしい。この絵は
最初の方に展示されていたのだけれど、出口まで
来たときにどうしてももう一度観たくなり、流れ
に逆行して戻ってしまった。 (かなりヒンシュク)
「晩鐘」はいつか実物を観てみたいと思っている。
ミレーにとってこの教会は変わらずにある場所で
あったそうだが、自分を振り返ってみると生家は
もうマンションになってしまっているし、学校の
校舎もみんな立て替えられていて面影もない。
昔を振り返らないタチなので別に構わないが、
それゆえにこうした絵に惹かれるのかも知れない。


ゴーギャン「黄色いキリストのある自画像」
左半分がキリスト、右半分には悪魔、それらを背景に
ゴーギャン自身がこちらを見つめているという絵。
キリストの身体の向きが普通と逆なので、おそらくは
鏡に映した状態を描いたものだと思う。(と思ったら
解説にそれらしきことが書いてあった) 神と悪魔、
相対するものが混在する人間の本質を鑑賞者に問うて
いるかのようなゴーギャンの鋭い視線が怖くもある。
この絵を見て好きな漫画の一つである「ARMS」を
思い出してしまった。アリスという一人の少女の
心から生み出された四つのナノマシン生命体、
「ジャバウォック」「ナイト」「ホワイトラビット」
「クイーンオブハート」が出てくるが、とりわけ
ジャバウォックはアリスの憎悪、ナイトはアリスの
慈愛を引き継いでおり、どちらもアリスの本質でも
ある。両者が激しくぶつかり合うシーンでは
ジャバウォック
「我が母アリスの命により、この世の全てを破壊せん」
ナイト
「我が母アリスの命により、この世の全てを守護せん」
というそれぞれの発する言葉とその戦いの激しさが
人間が本来抱えている矛盾(でもきっと必要なもの)
を表していてボクとしてはすごく感動した。この絵
とARMSを結びつける変な思考をする輩はボクくらい
かも知れないが、合い通じるものがあるように思う。


他にも気になった絵はたくさんあったが、書き始めると
キリがないので、ここらへんでやめておくことにする。


ちなみにボクは美術館巡りは大好きだが、いわゆる
美術史であるとか、絵画の技法といった知識は全く
ゼロに等しい。もちろん知っていた方がより深く
楽しめるだろうし、拒絶しているわけでは決して
ないのだが、そういった知識が入ってしまうと、
「感じる」べきところを「考えて」しまうような
気がする。自然と目にすることは覚えるけれども
教科書的に勉強したりすることはしないというのが
ボクのスタンス。なので、音声ガイドも使わないし、
作品の解説も観て納得する前には絶対に読まない
ようにしている。まあ、ヒトそれぞれの楽しみ方が
あっていいのかな、と


それと、これだけ有名な展示となれば当然ながら
混在は避けられない。ヒトの頭が邪魔になって、
イライラすることもあるが、そういう時には自分
の置かれている状況を切り替えることにしている。
日頃、印象に残る風景や場面に出くわすのは一瞬
のできごとで、しかもその時には常に何かしらの
ノイズが存在している。列車の車窓からであれば
架線の電柱であるし、ビルの夜景であれば、他の
ビルの陰だったりする。それを避けようとして
視線を移すと、また違った見え方をしたりする。
つまり、日常の風景や場面は常に動いており、
かつ何かしらのノイズが存在するのが通常だ。
美術館というシチュエーションは作品がそこに
固定されており、ヒトがそれを鑑賞するという
設定になっているから、作品は動かないモノと
して認識され、ヒトの頭はその絶対静的な状況
を乱すノイズとして強いストレスの元になる。
けれども目の前にある絵画そのものが、日常の
場面と同様に流れる時間の中で一瞬垣間見える
モノであると思うと、また違った楽しみ方が
できたりもする。これもボク固有のものかも
知れないが、今回のオルセー美術館展は風景画
が多かったこともあり、こうした視点の切り替え
がうまく働きやすかったのかも知れない。


4月まで開催しているので、お好きな方は是非どうぞ