ゆーたんのつぶやき

株式会社ノークリサーチにてIT関連のシニアアナリストとして活動しています。

モディリアーニ展



新国立美術館で開催中のモディリアーニ展を観て来ました。
モディリアーニというと面長な感じの肖像画というイメージ
がありますが、そのルーツともいえる経緯を知ることができ、
大変興味深い展覧会でした。


初期のモディリアーニの作品にはアフリカ芸術やギリシャ彫刻の
影響を受けた「カリアティード」というものが多く出てきます。
四肢の中央部が膨らんだふくよかな体型をしており、目鼻立ちが
キリっとした感じの神秘的な絵柄です。ヒトの形をした朝鮮人
のような体型にウルトラマンみたいな顔がついた感じ(すごく変
なたとえですが。。。)といえばわかりやすいでしょうか。


モディリアーニは元々彫刻の道を目指していたそうで、そうした
カリアティードを組み合わせた柱を使った神殿を創り上げること
を夢見ていたそうです。その後、体力的・経済的理由から画家の
仕事へと注力していくことになります。


多くの肖像画にはカリアティードの名残が感じられ、顔の半分
は瞳が描かれずに無機質な感じになっているものもありました。
そこで気がついたのが、顔のパーツ配置によって醸し出される
雰囲気です。両目とも瞳が描かれていない肖像画の場合、口や
眉毛といった他のパーツも絵ごとの違いはボクのような素人目
にはあまりわかりません。ですが、首のかしげ方と目の位置の
組み合わせだけでもだいぶ印象が変わってくるのです。例えば
首を左に傾けた上に、左目をわざと右目よりも少し下の位置に
描くと、すごく物憂げな表情に見えます。逆に首は左に傾いて
いるのに、右目が左目よりも下の位置にあると何だか狡猾そう
な雰囲気を醸し出します。福笑いもパーツ自体は同じですが、
置く位置によっていろいろと表情が変わってきます。逆さまに
して展示されている絵などもあって気になっていたのですが、
もしかするとモディリアーニはカリアティードを組み合わせて
神殿の構築するというコンセプトの延長として、顔のパーツの
幾何学的な配置によって表情を作り出すといったことを模索
していたのかも知れません。


カリアティードのように無機質な肖像画があったかと思えば、
両方の瞳も描かれた実に表情豊かな作品もあったりします。
創作時期による違いではないようだったので、何故そうした
差が出てくるのか?については結局わかりませんでした。


もしモディリアーニが当初の志の通りにカリアティードによる
神殿を創り上げていたら、どんな風になっていただろうか?と
勝手に想像しながら雨の振る中美術館を後にしました。