ゆーたんのつぶやき

株式会社ノークリサーチにてIT関連のシニアアナリストとして活動しています。

メタビジュアル



恵比寿の東京都写真美術館で開催されている「メタビジュアル」展
に行ってきました。
http://www.syabi.com/schedule/details/metavisualize.html
芸術肌とエンジニア気質の両方の血筋を引いているせいか、この手
の展示には無性に行きたくなることが時々あります。
今回、とても印象的だったのは木本圭子さんという方の作品で、
「Imaginary Numbers」というものでした。タイトルから察するに
複素関数写像を使ったフラクタルCGのようでした。帰宅して早速
調べてみると、やはりエノン写像などを使ったフラクタルでした。
http://www.kimoto-k.com/


フラクタルはカオスとも密接につながっていて、数式そのものは
とてもシンプルであるにも関わらず、その数式を用いて描かれる
軌跡はとても芸術的です。「初期値敏感性」と言って、ほんの少し
始点が変わっただけでも、しばらくすると全く違う方向へ進んで
いきます。あるものは一点に落ち着きますが、あるものは一定の
範囲には収まりつつも留まることなく奇妙な軌跡を描きつづけたり
します。まるで人生そのもののようでもあり、数学の持つ神秘性を
感じます。ボクも学生の頃はカオスやフラクタルをテーマにして
いましたので興味津々でした。


その作品の横に「テクノロジーを真に正しく認識できるのは状況に
応じて五感を変化させて対応できるクリエイターのみである」
みたいな寄せ書きが掲げられていました。たしかにエノン写像
数式を単なる複素関数と捉えているだけではフラクタルの美しさを
感じることはできませんし、初期値敏感性という特性やストレンジ
アトラクタ(一点に留まることなく描かれた奇妙な軌跡)といった
幾何学的な側面を捉えることはできないでしょう。


そういえば乳幼児の何割かは音をビジュアライズして知覚している
という話を聞いたことがあります。「音を聴く」とか「映像を観る」
というのは、結局は人間が感覚器官から受け取った情報を脳の中で
電気信号として処理しているに過ぎません。ですから、処理の仕方
によっては「音を観る」とか「映像を聴く」という知覚も起こり得る
わけです。ですが「音は聴く」ものであり、「映像は観る」もので
あることを教えられるにつれて、そうした知覚上の自由度が失われて
固定化してくるのだという研究論文だったように記憶しています。


五感をそれぞれの用途に限定せず、必要に応じて切り替えたり、混在
させたりして知覚の自由度を上げるというのは興味深い発見です。


翻ってITの仕事を振り返ってみると、「ボタンというのは押すもの」
「データというのはまず一覧表示されて、それから詳細画面に遷移
するもの」という常識があるわけですが、良い意味でそれを裏切る
ようなアイデアがあってもいいのかなと思います。(とは言っても
一時期流行ったようなアニメーションやスプラッシュの乱用は避ける
べきとは思いますが...)その「裏切り方」が人間が本来持っている
自然な知覚パターンに合致していれば、広く受け入れられるユーザー
インターフェースであるということになり、ITがより人間に優しい
道具に進化できるのではないかなと感じます。


混まないうちにと思って、朝寝坊をお預けにしてちょっと早起きして
出掛けましたが、それだけの発見ができた有意義な休日でした(^^)